僕は結構アニメが好きなのですが、好きなアニメの一つに「フリクリ-flcl-」というアニメがあります。
ガイナックスという制作会社のOVA作品(原作無しのオリジナル作品)で、同会社の有名作品だと、新世紀エヴァンゲリオン、天元突破グレンラガン。現在放送中のものであればキルラキルと、みなさんもちょびっと知ってるような作品を作ってる有名会社の作品です。
このフリクリ、海外ではそこそこ有名なのですが、日本では「エヴァ」や「ラガン」など有名作品の影に隠れ、中々日の目を浴びない作品なのですが、これが、本当に、面白くてですね!
あらすじとしては、主人公である小学6年生のナンダバ・ナオ太くんの元に、ある日自称19歳の女の子 ハルハラ・ハル子がマスタード色のスクーターに乗って現れます。
「凄いことなんか無い。ただ当たり前のことしか起こらない。」
が口癖のナオ太くんでしたが、彼女の出現によって彼の平凡な日常は崩れ去ります。
そして彼が様々な事件と人との出会いを通じて成長していくお話。(と一概に言い切れないところがまた絶妙にもどかしいお話。) なのですが、全6話なので、季節の変わり目でセンシティブな時にでもぜひ見てみてください。
さて、このナオ太くんですが、海外留学中の兄の元カノで、ちょっとエッチな関係にある(おませさん)女子高生から、「ナオ太くんはバットを持っていても振らないタイプだよね」とコメントされることがあります。
確かにナオ太くんはバットをいつも持ってこそいるのですが、振らないのです。
これはナオ太くんのキャラ付けではなくて、「バットを持っていることで何かを持っているアピールはあるが、振ってしまうことで自分が何も持っていないことがバレてしまうことが怖い子供」のメタファーとされています。
なんだか、この辺で胸がチクリと痛くなるんですよね。
自分で言うのもあれなのですが、僕は昔から「お前は才能があって良いよな」というようなことを良く言われました。正直、今も言われることはあります。
そういう風に言われるということは、少なからずそう思ってもらえている、ということなので素直に嬉しいのですが、自分自身、沢山の才能あふれる人たちに出会って、自分なんてちっぽけで何にもできない人間だと思い込んでしまう日々が長くあったように思えます。(その関係で、才能って言葉がちょっぴり嫌いになったりもしたのだけど。)
もっとも、今も僕は得意こそあれど才能があるとは思っていないし、僕一人で何かを成し遂げることなんてできるはずが無いでしょう。
ただね、才能の有無に関わらず、周りから才能があると言われたのならば!才能があると言われなくても!自分に才能があると思うのであれば!
なんでもいい!
一つだけ言えることは、バットは振らなければあたらないということ、だと思っています。
あなたが才能だと思っているもの、思っていなくても人から言われるもの、どっからどう見てもゴミとしか言いようが無いもの。人にはそれぞれオリジナル・ハンドメイドのバットが何本か与えられます。
そのバットがどんなものであろうと、そのバットで打席に立つしかないのだと思います。
大ヒット、場外サヨナラホームランなんてそうそう出ない。
自分の人生ゴロばっかかもしれない。
でも振らないと当たらないし、振らないとわからないし、振らないと打席からでることすらできない。
もし思いっきり振ってみて、三振パラダイスだったとしたらさ、そのゲームきっと向いてないし才能無いんだよ。笑
そしたらきっと、監督とか、テレビ局とか、それともサポーターとか、いろんな人がいることが見えてくるし、自分ができることをやればいいんだと思う。
はたまたサッカーに転向するとかね。笑
フリクリに戻りますが、
ナオ太くんの「凄いことなんか無い。ただ当たり前のことしか起こらない。」という口癖は、世界では当たり前のことしか起きないのではなく、自分が当たり前のことしか起きないような選択肢をとってることに気がついていない小学生の主観的な一言だと僕は思っています。
僕はバットを確かに何本か持っている。
だけど素振りをしなきゃ鈍る。
まだ、素振りの仕方が僕にはよく分からない。
このバット!と決めてそれに集中する覚悟も無い。
ただ、取り返しの効く若さがあるうちに、サードゴロくらい打てるようになりたい。
僕はね、周りの人から才能だけの人間とか、どうしても思われたくないんだ。
才能があろうがなかろうが、努力を褒められた方が何千倍も嬉しいと思うんだ。
才能は無くても、センスは磨ける。
尊敬している人から言われたこの言葉を胸に、明日も生き延びたい所存。
星野源が染みる夜だなぁ。
了
本日のBGM ステップ/星野源
2013年11月11日月曜日
2013年10月27日日曜日
傷は治る。
僕は昨日包丁で指先をスッパリ切りました。
爪があったから辛うじて、指が繋がっているような、少しだけ深い傷ができました。
止まらない血と赤く滲む布を見ながら、今日まで当たり前についていたものがとれて無くなるかもしれないという感覚を、覚えていました。
なんども絆創膏を張り替え、痛い指でタイピングをしながら一日を過ごす。
さっき、丁度事故から24時間たったであろう頃。ふと指先を見てみた。
くっついていた。
切断面は血で黒く固められ、切れた小さな方は白くなり、感覚は無い。
だけど、くっついていた。
自分の指を見ながら、何でもできるような気がしてきている僕を、僕は少しおかしく思う。
決して自分が「治せ」と命令した訳じゃなかったし、努力をしたわけじゃない。
だけど指は自然にくっつく。
傷は治る。
同じように、何かに失敗したって、ひょっとして傷は治るのではないか。
印象的な話の一つに、タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太の数秒がある。
「コンビニの求人を見ながら、この事業失敗して3000万の借金負っても、このバイト数十年やれば返せるなぁって思った。」
そうなのだ。
きっと人間滅多な事じゃ死なない。
死にたいと思っていてもお腹が空くように、
各個人の努力の量に関係なく、身体は生きようとしているのだ。
傷は治る。
場合によっちゃ後も残る。
でも治るだけましで、年を取ったら傷も治りにくくなる。
人生は、思っているより、多分長い。
多分ね。
だけどきっと、無駄なことをしている時間はない。
苦しい事をしなければいけないときもあるけど、
できることなら楽しいことをして生きていたい。
どうやったって時間は過ぎていくし、生きていくしかないのなら、
どう生きるかを考える。
さて、今夜は指に感謝だ。
了
今日のBGM さいごのアイスクリーム/きゃりーぱみゅぱみゅ
爪があったから辛うじて、指が繋がっているような、少しだけ深い傷ができました。
止まらない血と赤く滲む布を見ながら、今日まで当たり前についていたものがとれて無くなるかもしれないという感覚を、覚えていました。
なんども絆創膏を張り替え、痛い指でタイピングをしながら一日を過ごす。
さっき、丁度事故から24時間たったであろう頃。ふと指先を見てみた。
くっついていた。
切断面は血で黒く固められ、切れた小さな方は白くなり、感覚は無い。
だけど、くっついていた。
自分の指を見ながら、何でもできるような気がしてきている僕を、僕は少しおかしく思う。
決して自分が「治せ」と命令した訳じゃなかったし、努力をしたわけじゃない。
だけど指は自然にくっつく。
傷は治る。
同じように、何かに失敗したって、ひょっとして傷は治るのではないか。
印象的な話の一つに、タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太の数秒がある。
「コンビニの求人を見ながら、この事業失敗して3000万の借金負っても、このバイト数十年やれば返せるなぁって思った。」
そうなのだ。
きっと人間滅多な事じゃ死なない。
死にたいと思っていてもお腹が空くように、
各個人の努力の量に関係なく、身体は生きようとしているのだ。
傷は治る。
場合によっちゃ後も残る。
でも治るだけましで、年を取ったら傷も治りにくくなる。
人生は、思っているより、多分長い。
多分ね。
だけどきっと、無駄なことをしている時間はない。
苦しい事をしなければいけないときもあるけど、
できることなら楽しいことをして生きていたい。
どうやったって時間は過ぎていくし、生きていくしかないのなら、
どう生きるかを考える。
さて、今夜は指に感謝だ。
了
今日のBGM さいごのアイスクリーム/きゃりーぱみゅぱみゅ
2013年9月17日火曜日
道具箱は自前でヨロシク。
僕ね、一つ心に残っているシーンがあるんです。
中学時代、友達のA君に怒られたんです。
「自分で持ってこいよ」
僕ね、定規を持ってなかったんです。
いやね、自宅にはあったんですが、学校に持っていってなかったんです。
筆箱に入れてなかったんです。
それで、授業の度に毎回彼に借りてたんですね。
したらこれ。(笑)
自分でなんとかできることを誰かに頼り続けてたら怒られるんです。
離れていくんです。
僕は定規の話を例に挙げたのですが、一般化するのであれば、
「結局自立できていない人間とは真に人間関係を築けない」といったところでしょうか。
各人間それぞれに、「できる領域」と「できない領域」があります。
もっと言えば、
①頑張らなくてもできる領域
②頑張ればできる領域=頑張らなければできない領域
③頑張ってもできない領域
です。
そして、人間はこの3つを上手に組み合わせて行きていかなければなりません。
この自分の管轄のうち、③できないもの同士をある程度補いながら共生できる人のことを、友達・仲間といいます。
ここで一つハッキリさせておきたいのは、彼らは赤の他人である、ということです。
「そんな冷たいこと言うなよ!!」
という声ももちろんありますよ。
ただ、血のつながりも無い、生まれも育ちも違う横の他人に、生涯付き合う義理なんてないんです。
「俺はこいつらと一生一緒にいる!!」
という思いを貫く人もいるでしょう。すごいと思いますが、それは一緒にいたいからいるのであって、義務ではない。
もうこいつといたくないと思えば、消える事が許されます。
そうなってくると、良い友人関係を保つためには何が必要なのか。
自立です。
東京大学の試験では減点法が用いられているとドラゴン桜に書いてあったのですが、人間関係においてもそれは近いものがある気がします。
間違っていなければ、そのまま。
間違えたらその分だけ、減点。
挙げ句、合否が決まります。
同じく、自己管理ができている友人とは、自分が放っておいても行きていられるので、ずっと付き合っていける気がします。
しかし、いっくら面白い奴でも、自分に頼ってばっかりいる友人には、いつか堪忍袋の金魚鉢が割れてしまう。
この頼られるストレスを一番相手に与えるのが、②の侵犯です。
自分が頑張らなくてもできること、持っているものは簡単に差し出す事ができます。
しかし、自分が頑張って手に入れたものをいつも簡単に持っていく奴は、イライラしますよね。
だからこそ、できるだけストレスを相手に感じさせず、良い関係を保つために、自立が必要なのだ。
自立に必要な要素は、3つの領域から自分で捻出しなければならない。
それは、稼ぎというコンパスかもしれないし、時間を守るというスティックノリかもしれない。
人間は、①生まれた時からいくつかの道具を持っています。
そして、親に足りない文房具を期限付きで借ります。
大人になっていく中で、一人で生きるために必要な能力を身につけるたびに、あなたの小さな道具箱には、②新しい文房具が溜まっていきます。
返却期限が切れる前に、僕たちは文房具を一式揃えなければならない。
そして、シャーペンは友達に借りっ放しではいられないのだ。
若い僕たちは、今自分に必要な文房具はなんなのか、考える必要がある。
自分の道具箱を眺めてもいいし、友達が持ってるカッコいい消しゴムを見るのでもいい。
とにかく、僕たち人間は道具箱をそろえなきゃいけない。
文房具の値段は3つのランクって、それは人によって違う。
それで、③どうしても手に入らないものを、互いにずっと貸し借りできる人だけが竹馬の友となる。
了
本日のBGM 茶碗/星野源
2013年9月7日土曜日
僕がどうしようもなくイタリアが好きなしょうもない理由。
「僕ね、思うんですよ。
もう一度小学生の夏休みがやりたいって。」
何にも考えずに、ランドセルは机の下、ラジオ体操なんてそっちのけ、長い坂道で自転車と風になる。
そんなことをもう一度やりたいのです。
そして何より、あの頃の青空は今よりも、もっと高く、高く、澄んでいた気がします。
多分、もうあの時と全く感覚は二度と戻ってこないし、タイムスリップを望むのはきっと野暮だ。
でもね、子供のころの夢って、きっと大人になってもやりたいことだらけな気がしてきました。
そしてそれを大きくなってから叶えるのは、きっと野暮ではない。
みんな子供の頃の夢はなんだった?
僕はパイロットとパン屋さんだったよ。
パイロットとかはさ、もしかしたらもう実現は難しいかもしれない。
でも僕の言う「夢」っていうのは、もっと、こう、くだらないものさ。
ゼリーのプールで泳ぐ。
お菓子の家を建てる。っていう幼き頃の妄想や、
キリンを飼う。
オマーンに行きたい。とか、そんなレベルのお話。
ね?やりたくない?
こういう夢ってさ、大人になった今だからこそ叶えられるものもあるんじゃないかな。
自分がもしもくたびれた大人になった時、こういう童心の大人買いをする機会があっても良いと思うのだ。そして、それは何者にも縛られていない。
僕が大人になった時何したいのかな、と思った時、いっつも一番最初に「イタリアを一人で放浪」というものが浮かぶ。
なんだかわかんないんだけどね、昔からそうなんだ。
思い返すと、僕が一瞬でイタリアを好きになった小さな出来事があった。
僕がイタリアに初めて行ったのは4歳の頃、宝くじが大当たりした時の家族旅行でした。
入ったカフェで、母に「コーヒーを2つ下さい」とイタリア語で教わり、数ユーロを握り、僕はレジに向かった。
due caffè per favore.
まだ擦れていない声でそうお願いすると、僕の後ろに並んでいた、禿げ上がった頭が似合ったおじさんが、「ブラボー!!」と叫びながら拍手をし始めた。
するとカフェ中の客がぞろぞろと集まってきて、恐らく「この小さなジャパニーズ・ガイがイタリア語でコーヒーを頼んだんだ」と大胆な身振りでおじさんが説明する。
カフェ中から拍手と歓声が飛んできた。
これだけだ。
今思えば、僕は別に凄いことをした訳じゃない。もしかしたら良くある光景かもしれない。
でもね、こういう日々の小さなチャレンジに対して最大の敬意を送る、それを目の前にしたときから、僕はイタリアの虜だったのかもしれない。
何が言いたかったかって、昔からの夢と生涯かけて付き合うってきっと素敵じゃないのかなってこと。
将来こんなことしたいなって、考えながら空を見ればきっとちょっと毎日が楽しい。
誰かさ、北海道で自転車借りて走りに行こうぜ。来年あたりさ。
損得無しで笑いにいこうぜ。
忘れ物をとりに帰ろう。
それじゃ、今日は寝るよ。
了
本日のBGM 茶碗/星野源
もう一度小学生の夏休みがやりたいって。」
何にも考えずに、ランドセルは机の下、ラジオ体操なんてそっちのけ、長い坂道で自転車と風になる。
そんなことをもう一度やりたいのです。
そして何より、あの頃の青空は今よりも、もっと高く、高く、澄んでいた気がします。
多分、もうあの時と全く感覚は二度と戻ってこないし、タイムスリップを望むのはきっと野暮だ。
でもね、子供のころの夢って、きっと大人になってもやりたいことだらけな気がしてきました。
そしてそれを大きくなってから叶えるのは、きっと野暮ではない。
みんな子供の頃の夢はなんだった?
僕はパイロットとパン屋さんだったよ。
パイロットとかはさ、もしかしたらもう実現は難しいかもしれない。
でも僕の言う「夢」っていうのは、もっと、こう、くだらないものさ。
ゼリーのプールで泳ぐ。
お菓子の家を建てる。っていう幼き頃の妄想や、
キリンを飼う。
オマーンに行きたい。とか、そんなレベルのお話。
ね?やりたくない?
こういう夢ってさ、大人になった今だからこそ叶えられるものもあるんじゃないかな。
自分がもしもくたびれた大人になった時、こういう童心の大人買いをする機会があっても良いと思うのだ。そして、それは何者にも縛られていない。
僕が大人になった時何したいのかな、と思った時、いっつも一番最初に「イタリアを一人で放浪」というものが浮かぶ。
なんだかわかんないんだけどね、昔からそうなんだ。
思い返すと、僕が一瞬でイタリアを好きになった小さな出来事があった。
僕がイタリアに初めて行ったのは4歳の頃、宝くじが大当たりした時の家族旅行でした。
入ったカフェで、母に「コーヒーを2つ下さい」とイタリア語で教わり、数ユーロを握り、僕はレジに向かった。
due caffè per favore.
まだ擦れていない声でそうお願いすると、僕の後ろに並んでいた、禿げ上がった頭が似合ったおじさんが、「ブラボー!!」と叫びながら拍手をし始めた。
するとカフェ中の客がぞろぞろと集まってきて、恐らく「この小さなジャパニーズ・ガイがイタリア語でコーヒーを頼んだんだ」と大胆な身振りでおじさんが説明する。
カフェ中から拍手と歓声が飛んできた。
これだけだ。
今思えば、僕は別に凄いことをした訳じゃない。もしかしたら良くある光景かもしれない。
でもね、こういう日々の小さなチャレンジに対して最大の敬意を送る、それを目の前にしたときから、僕はイタリアの虜だったのかもしれない。
何が言いたかったかって、昔からの夢と生涯かけて付き合うってきっと素敵じゃないのかなってこと。
将来こんなことしたいなって、考えながら空を見ればきっとちょっと毎日が楽しい。
誰かさ、北海道で自転車借りて走りに行こうぜ。来年あたりさ。
損得無しで笑いにいこうぜ。
忘れ物をとりに帰ろう。
それじゃ、今日は寝るよ。
了
本日のBGM 茶碗/星野源
2013年8月28日水曜日
人は涙の数だけ強くなれるのか。
かの名曲の一節に「涙の数だけ強くなれるよ」というものがありますが、
人は果たして本当に涙の数だけ強くなれるのか。
僕は強くなれるというより、リセットのニュアンスが強いんじゃないのかな、という風に思っています。
日々生活を営んでいるとさ、自分の感情って結構蔑ろにすることが多いんじゃないかな?って思うんです。
例えば、行きたくないけど、仕事だから出社。
とか
あの子の事は嫌いだけど、付き合いの手前仲いいフリをしなければならない。
とか、
それこそ、一つ前の投稿の「僕ってこう見られたいな」さんのお話と通じるものがあるのかもしれません。
人って、色んなタイプがいると思うんですね。
暮らしの中で感情の吐露を制限されている、という前提の中で上手く感情を表現できる人、できない人、はたまた表現は上手くできるけど感情の抑制ができない人。
僕は、涙ってそんな彼らの日々繋がれてる感情を自由に散歩させてあげられる機会を作ってくれるものだと思っています。
何故なら、涙は感情がある一定のラインを超えなきゃでないものだからです。
嬉しい、悲しい、悔しい、寂しい、色んな色がありますが、それらがあるラインを超えたとき、涙は流れるのです。
そうですね、イメージとしては仮装大賞なんかが近いのでしょうか。
仮装大賞だと1点から19点の間で評価はされないのです。
20点。その一点を超えた時にピコピコピコピコ、ランプが光ります。
その感覚です。
やっぱりさ、みんな忙しいじゃん?
学校ガー
入試ガー
人付き合いガー
仕事ガー
って、1点から19点の間の中でさ、自分て何考えてんだろうとか、何も感じてないなーって考えるときあるじゃん?
涙はね、そういう評価されない感情が、1点超えたときにだけ現れる。
涙は
「あ、僕は今悲しいんだ」
っていうように改めて自分の感情を、強く、再認識させてくれる、優しい雫なんだと思います。
これが僕が涙をリセットと表現した理由です。
僕の考えの一つに、感情を蔑ろにしたら心が壊れる、というものがあります。
いくら給料の良い仕事でも、
いくら良い大学に行っても、
いくら美人な嫁さんと結婚できたとしても、そこに感情が無ければ人は色を失うのです。
心がすり減るのです。
多分、鬱病っていうのはそういうところからもくるんじゃないのかな。
そして、色を強く感じている人は、表現が豊かです。
それでね、僕、表現や共感に関しては、男性より女性の方が遥かに得意だと思うんです。
それはきっと、男性より女性の方が生涯泣く回数が多いからではないでしょうか。
自分の感情のランプがピコピコ光る経験を多く持っていて、自分がどういう感情を持っているのかしっかりと把握している傾向にあるから、きっと共感や表現が上手なんです。
じゃあなんで男の方が泣く回数が少ないのか。
それは生物学的な話なのか、生育環境の話なのか、難しいことは僕にはわかりません。
ただ、もし自分に息子が生まれるのなら、
「男なら泣くな」という教育はしたくないですね。
泣きたい時は泣けばいい。
泣く時には泣くだけの十分な理由があるのだから。
もちろん、強い子供には育って欲しいですが、
ただ強いだけだったら泣き虫でも、自分の感情に素直な子供に育って欲しい。
何が言いたいって、風立ちぬ、素晴らしい映画でした。笑
了
本日のBGM キラキラ武士/レキシ
2013年8月25日日曜日
「僕ってこう見られたいな」さんを大事にしよう。
僕ね、自分らしさがなんなのかわからないんです。
ただそこには、「僕ってこう見られたいな」さんが控えめに胡座をかいているだけで。
彼が自分らしさって奴なのかどうかは、ちょっとよくわからないのですが、彼に寄り添えている時は大抵心地いいんです。
そして各個人は自分の中の彼を肯定してあげるべきなんだと思います。
例えばね、某K君の話をするとします。
彼は小さい頃からいい子であろうと務めました。
いい子であれば褒められるし、いい子であることを友達や家族に望まれていたような気がしていたからです。
しかし彼は大きくなるに連れて、自分という人間がわからなくなります。
自分で行動しているようで、操られているように思えたのです。
手に取りやすくするならば、考えて動くのではなく、そうプログラムされているかのような感覚です。
道の途中、彼を見つけます。
「僕ならこうするべきなんだろう」君です。
「僕ってこう見られたいな」さんの椅子に苦しげに縛られた彼を見つけた時に、K君はただただ涙を流すだけでした。
「僕ならこうするべきなんだろう」君を縛り付けていたのは、勝手に作り上げた周りが期待している自分像に他なら無くて、間違いなく周りはそんなにあなたに期待していないんです。みんなね、他人に興味ないんですから。
だったらさ、「僕ならこうするべきなんだろう」君を解いてあげて、「僕ってこう見られたいな」さんと仲良くしたほうが良いと思うんですよね。
でもね、「僕ってこう見られたいな」さんって中々顔を見せなくて、彼を見つけるためには、普段自分が何を考えているか知る必要があるんです。
自分の考えていることがわからなければ、どう見られたいかなんてわかりゃあしません。
自分が何を考えてるのかを知る方法って難しくなくて、「ただただ自分が目の前の出来事に対してどう思っているかを把握する」だけでいいと思うんです。
学校に行きたくない
あの子と付き合いたい
魚は食べたくない
葉っぱが緑だ
生きたい
死にたい
なんでも。
それでね、そう思っちゃってることはしょうがないんだから、そう思っちゃったことは受け入れちゃいなよ。
だってよ、もう思っちゃってるんだもん、そりゃYESするしかないってことよ。
その上でさ、「あ、自分って結構アレだな」って思えたら、「僕ってこう見られたいな」さんが重い腰をあげるんじゃないかって話。
自分の思ってることに、忠実に。
持っている感情を、正確に。
それだけ把握しておけば、少しだけ人生楽になるかもね。
そう、檸檬を握ったときみたいに。
でもね、気をつけないと、隙あらば「僕ならこうするべきだろう」君はまた縛られにくるんだよ。
ほら、彼さ、ドMだから。(笑)
了
本日のBGM 虚言症/椎名林檎
久しぶりの更新。
2013年8月19日月曜日
「僕は親友が少ない」
僕はね、友達が多くて親友が少ないっていう、典型的なタイプなんです。
「親友は誰ー?」と簡単に聞かれた時に、困ってしまうんですね。
あ、これ割とみんなそうかもね。
最近、またひとり、胸を張って親友だと答えられるような人ができました。
できました、というより、確信した、って感じですね。
一つだけ、ご報告。
こういう感覚はね、どんどんシェアしていきたい。
2013年8月14日水曜日
サヨナラは必ずこちらから
昨日はバイト先の送別会でした。
僕メインではなかったんですが、僕も同時期に辞めたので、祝って(?)いただけました。
短い間だったのですが、本当に感謝です。
さて、そこでふと気づかされたことについて今日は書きたいと思います。
僕ね、終わりが苦手なんですよ。
と、いうと、何かを辞めることが苦手なのです。
習い事を辞めるとか、部活を辞めるとか、何かを辞めるのがとにかく下手なんです。
その活動がいくら嫌でも、そこで築いた人間関係が切れるのが悲しくて、苦手なのです。
昨日社員さんや先輩にそのことを話していました。
「それってお前が切ろうとしてるから切れるんじゃねーの?」
言葉を遮られ気味で返ってきた言葉。
別に、そんなつもりはなかったのだが、それが終わったあと付き合うことはないのだろうと薄っすらと考えていた自分が恥ずかしくなりました。
もう繋がりがないと悲しんでいたのが僕で、繋がり以前に繋がってんじゃんと言うのが先輩方。
なんだか、大事なことを見落としていた気がするよ。
悲しい別れを思い出すと、思った以上にサヨナラをしているのは僕の方からだったかもしれない。
あなたにサヨナラはしたくないです。
了
本日のBGM R.I.P/BUMP OF CHICKEN
2013年8月10日土曜日
暖かな縄
おはようございます。
怒濤の日々を終え、久しぶりに一日オフです。
よく眠りました。(男と添い寝だったけど)
今日はね、僕の人生のテーマとなりうるようなことを書こうかな、と思ってます。
家族ってすごく大切ですよね。
厳しくも子供思いのお父さんがいて、
優しい笑顔のお母さんがいて、
喧嘩しつつも洋服を見立ててくれるお姉ちゃんがいて。
本当に家族って素晴らしいものなんです。
世間一般からすれば。
恋人って素晴らしいと思うんですよね。
これからの人生をともにしようとしている男女で、その愛の強さは何にも誰にも変えられない。
でも恋人って異性じゃなきゃいけないのかな。
一人じゃなきゃいけないのかな。
もし結婚したとして、同じ名字じゃなきゃいけないのかな。
家族も恋人もとても素晴らしいものに変わりはありません。
ただし、良い家族とは、恋人とは「こうあるべきだ」というヴィジョンが社会に蔓延している気がします。
社会には沢山の人がいます。
決して一番落ち着く、ベストな状態がそれに当てはまらない人がいるでしょう。
そういうヴィジョンからあぶれた人たちには、素敵な家族、恋人という暖かな縄が絡み付いて、何かを縛り付けているのかもしれません。
僕は子供という立場から見て、家族の一番大事なポイントはセーフティネットかどうかだと思っています。
この場所に帰れば無条件で受け入れてくれる人がいる。
失敗しても認めてくれる。
いるだけで自己を肯定できるような場所が良い家族なのかな、と思います。
心理学者エリクソンの社会発達心理学の論文にも記されているように、幼少期・学童期に自己肯定感を獲得できないと、チャレンジ精神を持ち、前向きな人格になり辛いと言われています。
もちろん、これだけが全てとは言いませんが、大きく関わっているのは間違いないだろうと僕は予想しています。
だからね、家族って血が繋がっている人じゃなくていいと思うんだ。
この人なら絶対の信頼を置ける。
こいつらとなら何だってやって行けそうな気がする。
そういう人がいたらいいと思うんだよね。
それが誰かって話でさ。
家族にそういう人がいなかったらさ、外に見つければいいのさ。
人生まるっと誰かに預けるっていうのは中々難しいし、それを無条件に受け入れてくれやすいのが産みの親ってだけで、別に他に縛りは無いよ。
まぁただね、変わんないのはさ、こころから信頼できる人を愛しなさいなって話。
僕は今まで運が良いのか悪いのか、様々な家族の形にであってくることができました。
僕自身とても良い家族だとは思いますが、家族の形としては特殊に分類されるでしょう。
僕は、社会みんなの人に、親と築くような信頼関係を誰かと持てるような社会を築きたいな。
君はそれでいいんだよって一言言ってあげられるような、むしろ言うのも野暮なくらいな関係をね。
どうするかは、もう少し大学生をしてから見つけてもおかしくはないはず。
恋人に関しては、まだ語れるほど含蓄がないや。
彼女ほしい。
了
本日のBGM 運命じゃない人/モナリーズ
2013年8月9日金曜日
バウムクーヘン
早くさ、大人になりたいよね。
ずっと子供のままでもいいのだけれも、早く大人になりたいのだ。
周りを見渡した時にね、この人俺より子供だなって大人は沢山いるし、僕より大人だなって思う年下も沢山いる。
でもね、やっぱり年齢だけが与えられる価値、魅力はあると思うんです。
例えるなら木の年輪かな。
何もしなくても、時が経てば蓄積される、あの年輪。
でもその年輪にも、質があります。
昨日、去年の自分よりも大きく成長したなと思う瞬間がありました。
それは入試準備や不合格、人身事故との遭遇、新たな出会い、講師、色んな経験があって考え方や身の置き方に変化があったからだと思います。(こうみるとこの一年は怒涛だね。)
それと比べて、酒飲んでウェーイwwwwあの子とワンチャンwwwwwとか、色んな一年の過ごし方があるじゃないですか。
もちろん、そういうことは必要だと思いますし、かくいう僕も大学生を楽しんでいます。
ただ、1年が作る年輪を考えると、くるぶしがウズウズしてきちゃいますよね。
きっと僕のこのブログを読んでいる人は、同年代が多いと思います。
部活に精を出した人もいれば、帰宅部で毎日を過ごしていた人、荒れていた人、色んな人がいると思いますが、きっとその経験の価値に差なんてないのだ。
どれだけ凄いことをやったかじゃなくて、そこから何を考えて、どう自分のベースになっているかだと思います。
そしてね、その土台を把握することがティーンネイジャーに一番必要なことなのかなとボンヤリと前を見ています。
僕は早く椎名林檎の色気が欲しいですし、北大路欣也の凄みが欲しいです。
どうせならさ、大量に作られたコンビニのバウムより、職人が作った美味しいバウムが食べたいよね。
了
本日のBGM Love X Love / George Benson
2013年8月5日月曜日
お部屋を掃除したよ。
今日ね、少し早起きしたのと用事が遅れたので、お部屋をお掃除したんです。
僕はね、ほとんど人を部屋に入れないんです。
家には沢山人が遊びにくるんですが。
もちろん、部屋が犬小屋みたいに汚いってこともあるんですが、あんまり入ってきて欲しくなかったんです。
ほら、よく部屋の状態が心を表すって言うじゃないですか。
ただね、今はすごく人を呼びたいんです。きっと、入ってきて欲しいか、その準備ができたんだと思います。
僕の部屋は汚くて、ごちゃごちゃしていました。
片付けが億劫なのもあったんですが、居心地が良かったんですよね。
俺の城って感じで。
それはね、ただ単に僕が子供だったからだと思うんです。
何も決めず、言葉にせず、何も考えずぷかぷかと漂ってるだけ。
親とか社会に保護されてるからこそできるポジション。
それを表していたのが前までの僕の部屋です。
あまりに汚過ぎるので、親が掃除してしまうような。
何かが起きても誰かが助けてくれるっしょ。笑 みたいな考えです。
そんなんだからね、入ってこられたくなかったんです。
子供だってバレたくなかったから。
笑われたくなかったから。
でもね、最近色々が変わったんです。
大学に入ってから自分にかかるお金は全部自分のお金で全部払うようになって、
大人とのボーダーに立って、
受験に向き合う高校生と沢山話して。
なんだか、最近は自分の考えや責任、生き方についてばっかり考えていましたし、
ある種覚悟のようなものができてきたような気がします。
だからなのか、急に自分のことは自分でやらなきゃって思いが強くなってきたんです。
そんなことを薄らと感じながら始まった今日の掃除は、半日かけてもきれいにならなかった部屋が一時間半できれいになったし、要は心持ちなんだなぁと強く感じました。
だから奇麗になった部屋をながめて、少しエッヘンって気分なんです今。
ほら、よく部屋の状態が心を表すって言うじゃないですか。
部屋の掃除は心のリフレッシュになる。
確かにそうなんですよね。
ただ、掃除しようと思ってもできないそこのあなた。
諦めて部屋が自然と奇麗になるいつかを待っても良い気がしてきた、俺。
ただ、部屋を変えたいなら自分を変えなきゃ行けないんだ、とも思った。
せっかくこの状態をつくったんだから、僕は維持をしなければならない。
もっと、自分にストイックになろう。
了
本日は二本立てでした。
ROCK IN JAPANに行って参りました。
いやはや
みなさん
お恥ずかしながら昨日は人生で初めてロックフェスというものに行って参りました。
一発目POLYSICSでぶっ飛び、
nico touch the walls
平井堅
パスピエ
アジカン
バンプ
の順で狂ってました。
あれはね、はまっちゃうよね。
お恥ずかしながら、最後のバンプでは涙を流してしまうよね。
よく言うじゃないですか、音楽は自分の気持ちを代弁してくれるとか、
心の支えになってくれるとか。
LIVEっていうのは、その音楽の力がフルに発揮される所だと思うんですよね。
その力っていうのは色々あると思うんですが、きっとその根源は同じで、それは「匿名のあなたに居場所を与える力」じゃないのかなって考えてます。
やっぱりさ、人生色々あるじゃないですか。
同じコミュニティで時間を共有してるとさ、上手く行かなかったり、恋したり、ハブられたり、ドラマがありますよね。
あなたってブランドがあるんですよ。
高級品は大切にされるし、粗悪品は踏まれます。
でもね、ライブって、音楽を共有してるときってそれが無いんですよね、ホント。
観客席で揉みくちゃに息をもう、ゼェゼェ言わせながらふと隣と目を見合わせる。
「楽しいですね。」目を見合わせて笑顔をお互いに作る、その瞬間に全てが詰まってると思うんです。
その瞬間だけは、隣の人と、会場のみんなとの繋がりをもの凄く感じるんです。
誰でもあっても、ここにいて良い、そう感じさせることができるのが最大の音楽の力なんじゃないんですかねぇ。
僕は音楽への道を諦めていたけど、やっぱりああいうの見せられちゃうと困っちゃうよね。
でもね、諦めたとは言っても、考えたら本気でやったことなかった。
夢への再挑戦、やってみてもいいかもね。
やっぱね、ステージ立ちたいんよ。笑
社会貢献バンド作りたい。
アジカンや坂本龍一がやってる反原発活動みたいなやつじゃなくて、
このバンドは○○のために組んでいるバンドです。
名前なんていいんで、俺らのやりたいことだけ覚えてってください!!
みたいなね。笑
○○の中身はちょっと考えていたり・・?
僕はね、藤原くんやhideにはならなくていんです。
亀田誠治か桑田圭祐になりたいんですね。あわよくばリリーフランキーにも。
また来年も行くぞー!!次回は展と張ってやろ。
了
本日のBGM コミュニケーション/YUKI
みなさん
お恥ずかしながら昨日は人生で初めてロックフェスというものに行って参りました。
一発目POLYSICSでぶっ飛び、
nico touch the walls
平井堅
パスピエ
アジカン
バンプ
の順で狂ってました。
あれはね、はまっちゃうよね。
お恥ずかしながら、最後のバンプでは涙を流してしまうよね。
よく言うじゃないですか、音楽は自分の気持ちを代弁してくれるとか、
心の支えになってくれるとか。
LIVEっていうのは、その音楽の力がフルに発揮される所だと思うんですよね。
その力っていうのは色々あると思うんですが、きっとその根源は同じで、それは「匿名のあなたに居場所を与える力」じゃないのかなって考えてます。
やっぱりさ、人生色々あるじゃないですか。
同じコミュニティで時間を共有してるとさ、上手く行かなかったり、恋したり、ハブられたり、ドラマがありますよね。
あなたってブランドがあるんですよ。
高級品は大切にされるし、粗悪品は踏まれます。
でもね、ライブって、音楽を共有してるときってそれが無いんですよね、ホント。
観客席で揉みくちゃに息をもう、ゼェゼェ言わせながらふと隣と目を見合わせる。
「楽しいですね。」目を見合わせて笑顔をお互いに作る、その瞬間に全てが詰まってると思うんです。
その瞬間だけは、隣の人と、会場のみんなとの繋がりをもの凄く感じるんです。
誰でもあっても、ここにいて良い、そう感じさせることができるのが最大の音楽の力なんじゃないんですかねぇ。
僕は音楽への道を諦めていたけど、やっぱりああいうの見せられちゃうと困っちゃうよね。
でもね、諦めたとは言っても、考えたら本気でやったことなかった。
夢への再挑戦、やってみてもいいかもね。
やっぱね、ステージ立ちたいんよ。笑
社会貢献バンド作りたい。
アジカンや坂本龍一がやってる反原発活動みたいなやつじゃなくて、
このバンドは○○のために組んでいるバンドです。
名前なんていいんで、俺らのやりたいことだけ覚えてってください!!
みたいなね。笑
○○の中身はちょっと考えていたり・・?
僕はね、藤原くんやhideにはならなくていんです。
亀田誠治か桑田圭祐になりたいんですね。あわよくばリリーフランキーにも。
また来年も行くぞー!!次回は展と張ってやろ。
了
本日のBGM コミュニケーション/YUKI
2013年8月2日金曜日
シャボン玉とんだ
今一人、恩人が長旅へのわらじに足を入れた。
母が看病している彼女は、何を思っているのか。
人の死で思い出すのはいつもいつも祖母のことである。
転移に転移を重ね、脳腫瘍で亡くなった彼女は、意識は強くもっていたものの、喋ること、立つことは終にできなくなっていた。
当時中学生だった僕は、お見舞いにいくたび萎んだ祖母に悲しみを感じたものだ。
そんな彼女は僕を見るたび、強く手を握り、額に押しあて一言「佑ちゃん」と呟いた。無論、あまり言葉にはなっていない。
普段言葉にしないと伝わらない想いなどない、と考える僕だが、この時ばかりはどうしようもなかった。
彼女の想いが、愛が、人生が流れ込んでくるようであった。
この時の感覚は、今思い出しても涙が出る。
今懸命に戦っている彼女は、母に会うたび手を握り、そばにいてと伝えるという。
きっと、人が最後に求めるのは繋がりで、手を握ることは想いを伝えられる最終手段で、
ETに象徴されるように、手は外に飛び出た感情なのだ。
僕は手から流れる何かを感じ取れない人間にはなりたくない。
恋人と手をつなぐ時、盟友と握手をする時、いじらしく指が触れる時、なんでもいい。
その一瞬の触れ合いをもう少し感じたいな。
そして今際の際には大好きな人に手を握っていて欲しい。
なんで朝から泣かなきゃいけんのだ。
そうこうしているうちに電車逆乗ってしまった。
世界が悪い。
了
本日のBGM オルゴール/椎名林檎
みんな一日頑張ろうね。ほどほどに。
2013年7月31日水曜日
拝啓 すばらしいあなた様へ 〜自戒を込めて〜
今まで箱庭で過ごしてきた中で、「ナンバー1じゃないよ、オンリー1が大事なんだよ」って優しい言葉を沢山聞いてきた気がします。
なんかね、凄く違和感を感じるんですよ。
中学二年生のバイブル「新世紀エヴァンゲリオン」に「私が死んでも代わりはいるもの。」という台詞があります。
これね、別に綾波だけじゃないと思うんですよね。
みんなにはそれぞれ代わりの人がいるんじゃ無いのかな。
もしかしたら、思ってる以上にあなたや個人に価値はないのかもしれないよ。
少しだけ自分の話をしますね。
僕って、よく誰かに似ているねって言われるんです。
背格好、顔、趣味、性格、色々なところで。
その度に思うんですが、別に僕って僕じゃなくてもいいんだろうな、って思うんです。
もし僕とよく似た人が、僕として、あたかも当然のように入れ替わっても世界は何事も無かったように回るんだろうなって。
冷たいよね。
僕、オンリー1は
「あなたはかけがえのない1人なんだよ大切なんだよ!!(あいつの方が優秀だけど笑)」って感じに言いくるめられてる気がするのです。
事実、やっぱり褒められる時ってナンバー1のほうが多いと思うんです。
でもやっぱり人間一人一人にはちゃんと価値はあるんですよね。
きっと僕がいなくなったら両親や親友は(きっと)悲しがってくれるのでしょう。
もちろん僕にも失いたくないかけがえの無い人はいます。
ただ、やっぱり社会から見た時に、僕やあなたがいなくても問題なく回る、というだけで。
僕はさ、それがなんか悔しいんだ。
やっぱ生まれてきたからにはさ、なんか残したいよね。
死んで残るの墓石だけって悲しいもん。
だからオンリー1になれなくてもいいから、カテゴリーの中でただただ上の方にいきたい。
そこでそのカテゴリーの第一人者として何か成し遂げたい。
そこまで行くと、初めてオンリー1の尻尾が見えてくると思う。
オンリー1ってね、きっと頑張って頑張って頑張った人が出せる貫禄や雰囲気、センスを褒める言葉なんだよ。
全ての人を救済する甘い言葉じゃない。
それから、何かを成し遂げた後に、同じカテゴリーの後輩に「あの人みたいになりたい」って思われたい。
そんなエゴでね、いいと思います。頑張るなら。
そして成し遂げるためには、なにかして、それを自分なりに学びにする。それを繰り返すしかない。
以上、現場より
自分は自分だけだ、価値がある。
って考えるより
自分はそんな価値はないから頑張るしか無い。
って考えた方が生きやすい気がする、というお話でした。
絶対そっちのほうが失敗とか受け入れやすいもん。
人生はね、思ったよりレベル上げゲーなのかもよ。
んでみんなはただの勇者見習い。
了
本日のBGM love the game/Perfume
なんかね、凄く違和感を感じるんですよ。
中学二年生のバイブル「新世紀エヴァンゲリオン」に「私が死んでも代わりはいるもの。」という台詞があります。
これね、別に綾波だけじゃないと思うんですよね。
みんなにはそれぞれ代わりの人がいるんじゃ無いのかな。
もしかしたら、思ってる以上にあなたや個人に価値はないのかもしれないよ。
少しだけ自分の話をしますね。
僕って、よく誰かに似ているねって言われるんです。
背格好、顔、趣味、性格、色々なところで。
その度に思うんですが、別に僕って僕じゃなくてもいいんだろうな、って思うんです。
もし僕とよく似た人が、僕として、あたかも当然のように入れ替わっても世界は何事も無かったように回るんだろうなって。
冷たいよね。
僕、オンリー1は
「あなたはかけがえのない1人なんだよ大切なんだよ!!(あいつの方が優秀だけど笑)」って感じに言いくるめられてる気がするのです。
事実、やっぱり褒められる時ってナンバー1のほうが多いと思うんです。
でもやっぱり人間一人一人にはちゃんと価値はあるんですよね。
きっと僕がいなくなったら両親や親友は(きっと)悲しがってくれるのでしょう。
もちろん僕にも失いたくないかけがえの無い人はいます。
ただ、やっぱり社会から見た時に、僕やあなたがいなくても問題なく回る、というだけで。
僕はさ、それがなんか悔しいんだ。
やっぱ生まれてきたからにはさ、なんか残したいよね。
死んで残るの墓石だけって悲しいもん。
だからオンリー1になれなくてもいいから、カテゴリーの中でただただ上の方にいきたい。
そこでそのカテゴリーの第一人者として何か成し遂げたい。
そこまで行くと、初めてオンリー1の尻尾が見えてくると思う。
オンリー1ってね、きっと頑張って頑張って頑張った人が出せる貫禄や雰囲気、センスを褒める言葉なんだよ。
全ての人を救済する甘い言葉じゃない。
それから、何かを成し遂げた後に、同じカテゴリーの後輩に「あの人みたいになりたい」って思われたい。
そんなエゴでね、いいと思います。頑張るなら。
そして成し遂げるためには、なにかして、それを自分なりに学びにする。それを繰り返すしかない。
以上、現場より
自分は自分だけだ、価値がある。
って考えるより
自分はそんな価値はないから頑張るしか無い。
って考えた方が生きやすい気がする、というお話でした。
絶対そっちのほうが失敗とか受け入れやすいもん。
人生はね、思ったよりレベル上げゲーなのかもよ。
んでみんなはただの勇者見習い。
了
本日のBGM love the game/Perfume
2013年7月29日月曜日
賭け値無しで
実は僕人の死に立ち会うことが多いんです。
というのは、親戚が多いこともありますが、人身事故の場に遭遇したり、なんかそういうことが多いんです。
そういうことがある関係で、割と死生観や人生観はドライだと思ってます。
それを背景に、人生において一番の幸せや大事なことは何なんだろうなー、と最近考えています。
まだまだ19の若者なので、答えなんざ全くわかりませんが、仮説を建てることはできます。
僕は、賭け値無しの関係ですが一番大事なんじゃないかな、と思っています。
なんか、○○の関係のために仲良くするとか、
可愛くて付き合いたいから飯おごるとか、
そういうのって、虚しいですよね。
もちろん、人生においてそれも大事なことですし、より潤いあるものにするためには絶対に必要なことだと思っています。
むしろ、人付き合いの98%くらいがそうだと言っても決して過言ではないでしょう。
僕が言いたいのは、最終的な話です。
自分が床に伏して、最後の瞬きをする瞬間までに、こいつのためならいくら金出しても良い!身体を投げ打っても良い!って人3人に囲まれていたいんです。
僕は友達は多い方だと思うし、人当たりの良い方だと思う。
でもきっとそれは防御で、実は心の中に踏み入られると、だいぶ引いてしまう。
だからこそ賭け値無しの関係に憧れるんだろうな。
この人なら自分の全てを受け入れてくれる。
そんな人に出会いたいし、そういう人に巡り会うためにも、周りの全ての人に誠実に、大切に接して行きたい。
そして、一番の賭け値無しの関係の人を、妻にできたら良いな。
結局ね、僕は今日の江ノ島BBQが楽しかったですって言いたいだけなのよ。
ほんじゃね、おやすみ。
僕と接してくれる全ての人にありがとうを。
了
本日のBGM ピースとハイライト/サザンオールスターズ
2013年7月27日土曜日
看板を掲げる。
あなたは誰で、どんな人ですか?
これを答える時、所属を肩書きとして使ってはいけません。
あなた1人だけで考えた時に、あなたは自分をなんと言うでしょうか。
僕はここ数日、ずっと夢見る若者とお話をしていました。(僕もまだ若いはずなんですけどね)
とある案件で、彼らが自分を表現する場があるので、ありがたいことにデザイン専任講師としてお手伝いをさせていただいたのです。
そこで、僕は彼ら一人一人に「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」という質問を投げかけました。
みんな一生懸命に自分がどういう人なのか教えてくれました。
彼らの話を聴いているうちに、ぼここ数日感じていた違和感の正体に気がつきました。
それは「皆自分を説明する時に名詞しか掲げない」ということです。
「責任感があります」
「国際的です」
「誠実です」
なんだっていいけど、あなたのことを知りたい!って思ってる人は、そんなパッケージされた言葉なんて欲しくないと思うんです。
例えば、町にレストランがあるとしましょう。
まず僕はね、料理を作れない人が"レストラン"という看板は掲げないと思うんですよ。
その看板を掲げる人は、シェフとして経験と修練を積んで、もう店が出せる!と思うから自分の店をオープンするのです。
そしてそのシェフがオープンしたレストランは、やがて彼の経験から見つけた美味しいオリジナルの調理法やスパイスの調合、試行錯誤した素晴らしいサービスが噂になって町で一番人気のお店になりました。
僕が聴きたかったのはこういうことなのだ。
「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」
「私の名前は〇〇で、××大学に所属しています。それで、私は責任感が強く、誠実と見られたいです。」
こんなの、チェーン店です、サイ○リアです。
「私は責任感が強いと思われたいです。
何故なら、私にはこういう経験があり、その時こう考えさせられました。
その時から、私にとって一番大事なのは責任を果たすことだと思っていて、それが私の意思決定の基準になっているし、行動力の源です。
だから私は責任感が強いと思ってもらえると、嬉しいです。」
大事なのは、パッケージじゃ無くて、パッケージを掲げるに至るまでの経験、考え方なんだと思います。
それを伝えられて初めて、その人が浮かんでくるんだろうな。
僕はそういうことができる人間になりたい。
それを考えた上で、自分が周りにどう見られたいのか考えたいな。
最後に、最近僕がどこでこの違和感を感じていたのかで終わりたいと思います。
「○○党参議院議員候補 田中 太郎 やりぬく男!!」
知ったこっちゃない!
使い古された文句を並べるポスターと街宣車じゃ、何にもわからないよね。
なんでやりぬく男なのか僕は教えて欲しかったな。
そういった意味で、ネット選挙運動にはとっても期待しています。
その人の中身が見えるからね。
今回はまだ選挙権なかったけど、きっと次の選挙は投票に行けるはず。
自分の頭で考えて投票したいな。
了
おやすみなさい、もう朝だ。
本日のBGM face / yoshiko kishino
2013年7月25日木曜日
あなたは誰になる?
尊敬してる人って、います?
僕はいます。
中学の時の塾の先生で、僕は彼になりたいんです。
彼になりたくてなりたくて、喋り方を真似しました。
筆跡を真似ました。
いつも着ていたタイプのセーターを買いました。
彼に少しでも近づけることが嬉しかったんです。
高校受験も彼にもらった105円のシャーペン一本で乗り切りました。
でも彼のようになろうとして、同じことをしようとしても、やっぱりやりたくないこととか、自分で納得できないことが出てきたんです。
僕は彼になりたかったんです。
彼は彼の人生を送って彼になりましたが、僕は彼の人生を送ってきていません。
どうしても、僕は僕にしかなれないのです。
よく言いますが、僕は僕にしかなれないのです。
もし僕が10年前にタイムスリップして、一巡目と全く同じ人生を送ったとしても、
恐らく今と全く同じ19の僕にはならないでしょう。
僕は僕でなければならないのです。
いくら大好きな人がいても、その人になりたいとは思ってはいけないのです、きっと。
もしその人になりたいのなら、自分がその人のように見られるように努力すべきなのだろう。
今までの僕の人生で何を感じ何を考えたか、を受け止め、前向きに生きたほうが、きっとハッピーだと思います。
僕は今でも彼のようになりたいです。
彼が僕の太陽であったように、僕も誰かの太陽になりたいです。
ただ、彼になるとしたら、僕のまま、彼になりたいな。
だから僕は今でも、勝負ごとの時には彼と同じタイプのセーターを着ます。
了
本日天丼特盛でお送りいたしました。
本日のBGM Alone in the dark /COME BACK MY DAUGHTERS
2013年7月24日水曜日
2013年7月23日火曜日
夏時雨
朝、駅に向かう途中の公園で、蝉時雨のなか子供達が虫捕りをしていました。
蝉の声を聴くと、僕は昔の家の前にあった公園の大木思い出します。
木登りもしたし、自転車の練習をしたのもあそこでした。
聴覚嗅覚は記憶にリンクしやすいと言いますが、きっとそれはお茶目な呪いなのでしょう。
夏の化身が土の中からやってくる度、緑の葉と木漏れ日が瞼に浮かぶ。
僕にとってのその公園が、彼らはこの公園になるのかな、と思うと暑さも少しだけ良いもののように思えます。
気がついたら蝉の鳴き始めも過ぎていました。
10年前に比べて、夏は時雨のように降ってこない。
あの青々しいノスタルジーを感じられなくなったのは、
僕が少し大人になったからなのでしょうか。
はたまた。
了
本日のBGMは スターライトパレード/SEKAI NO OWARI
2013年7月22日月曜日
ザキヤマ一神教
結局自分のことだけしっかりしておけばいいのよ。
今朝母に言われた言葉。
周りに色々と首突っ込むのはいいとして、結局自分のこともしっかりできてない人にはすがりたくない。
その通りである。
この間、立て続けに 僕との間に一枚壁を感じる、というようなことを言われてしまった。
気のせいだと笑う傍ら、内心図星だと焦ってしまった。
別に、あなたが嫌いだ、という訳ではない。
仲良くなりすぎるのがちょっぴり怖いのだ。
僕があなたが思っているよりも良い人間ではなくて、がっかりされてしまうのが怖いのだ。
要は自信がなくて、自分がしっかりしてないことからの逃げだ。
僕も今年で19。来年で20だ。
大人にならなきゃいけない時期である。
月並みな言葉だが、何もしなくても年は喰うけど、やることをやっていないと大人にはなれないのだ。
一念発起なんてしてもきっと続かないから、ただ目の前にあるやらなきゃ行けないことを
しっかりとやろうと思います。
それで、このブログはポートフォリオ的に使えたらな。笑
誠実に。
結局自分を大切にできない人は周りを大切にできないし、周りを大切にすることが1であり10なのだと思う。
誠実に生きよう。
最後に敬愛するザキヤマ大先生のアメトーーーーークでの名言でシめようと思う。
「嫌われたくないって思ってるってことは嫌われてないと思って
そんなわけないじゃないですか!
嫌われて
たくさんの人に!
だからこの人なにやったら喜ぶかなとか
了
本日のBGMは タイムマシン/フジファブリック
2013年7月20日土曜日
嘘の言葉
かつて衝撃的なロシア人に出会った。
我が家は両親の方針で、僕が物心つく前から交換留学生の受け入れをしている。
所謂ホストファミリーというやつだ。
中学3年生の時、我が家にやってきた彼女はまさに台風であった。
ガッツリと胸元の開いた服を着て、毎日歌舞伎町のホストクラブへと通う彼女は、
一件問題児のように思えたのだが、
誰よりも勉強熱心で、誰よりも周りを想う人であった。
彼女が帰国するとき、彼女が通う日本語学校で送別会が催されたという。
そこでのワンシーンだ。
クラスのみんなから、彼女へのメッセージが書かれた色紙が渡された。
あなたと離れるのが寂しい
元気なあなたが好きだった
また遊ぼうね
暖かなメッセージが書かれた色紙だった。
しかし彼女は声を荒げた。
「全部嘘」
みんな私とそんなに仲良くなかったのに
煙たがってたのに
なんでそんなことを言うの。
これは暖かい言葉なんかじゃない、全部嘘の言葉。
そんな言葉をもらっても全然嬉しくない。
彼女はそう、吐いたという。
僕は衝撃的だった。
誰よりも優しい心を持った彼女の発言が意外だったこともあるが、
誰とでも仲良くしたいと"エエカッコシイ"をしていた僕に冷水をかけられたような気がしたのだ。
今でも思うのだが、ただ周りにむけて笑顔を作っていた僕は、
自分が本当は何を考えているのかさえ曖昧になっているのだ。
きっと、そこに言霊は無い。
心からの言葉を発するためには、自分が、
何を学び
何を感じ それから
何をするのか。
この繰り返しを記録し、しっかりと轍を残す他にないのだろう。
何のために生まれて何をして喜ぶのか、
それを探して只々日々をやり過ごすのみである。
了
本日のBGMは 月に負け犬/椎名林檎
2013年7月18日木曜日
ウルトラマンだって痛いんだ。
懐かしい夢を見た。
確か15年前、僕がまだ4歳だったころの夢だ。
僕は幼稚園の友達と、自宅でウルトラマンのビデオを見ていたのだ。
男ばかりの集団から「やれ!」「倒せ!」など声援が送られる中、
一人「痛そう」と呟いた女の子がいた。
当時は「そんなわけないだろ」
「ウッセー馬鹿!!」
「ウルトラマンなんだから痛くないんだよ!!」
とヤジったのだが、きっと、そんなことはないのだ。
ウルトラマンだって、絶対に痛い。
ヒーローという陰にひそりと身を潜めているその痛みは、
決して僕らに伝わることは無い。
そしてそれに気がつくのはいつだって女の子なのかもしれない。
了
本日のBGMは 神様の暇つぶし/GO!GO!7188
2013年7月7日日曜日
ブログを始めました。
こんばんは。
早いもので2013年ももう後半戦、七夕を迎えるところとなりました。
そんな今日僕はブログを開設することとしました。
(とは言えブログを開設するのはもう何回かしたことがあるのですが)
ブログを開設する理由はいくつかあるのですが、大きく分けて3つです。
①思考の整理
→大学に入学してからというもの、ポンポンと思いつくことはあるのですが、
忙しさを理由に泳がせてばかりでしっかりと頭の中を可視化させてきませんでした。
ここに「考えた」思ったことを書き残すことで、
自分の思考の流れを確認できるポートフォリオとして行きたいと思います。
②文章の練習
→実は最近とある繋がりで文章を扱うお仕事をやらせていただけることになりました。
なので長文を各練習台にここを使いたいと思っています。
③ルーティーンワークとして
→先日授業で
"未来に通じると思うことを一つ決めて続けなさい"
というお言葉をいただきました。
僕にとっての未来に通じることは、思考をアウトプットし、流れを把握することと
轍のように過去を振り返ることができるようにすることだと思います。
ただ轍のように過去を振り返れるようにして自分を肯定してあげることが
自分が未来に顔を向けられる一つの手段だと思ったんです。
有言実行という言葉がありますが、不特定多数の人に公開することで、
ちょっと自分を引き締めようと思ったので、ブログを始めることにしました。
さて、おやすみ。
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