2013年8月28日水曜日

人は涙の数だけ強くなれるのか。


かの名曲の一節に「涙の数だけ強くなれるよ」というものがありますが、
人は果たして本当に涙の数だけ強くなれるのか。

僕は強くなれるというより、リセットのニュアンスが強いんじゃないのかな、という風に思っています。

日々生活を営んでいるとさ、自分の感情って結構蔑ろにすることが多いんじゃないかな?って思うんです。
例えば、行きたくないけど、仕事だから出社。
とか
あの子の事は嫌いだけど、付き合いの手前仲いいフリをしなければならない。
とか、
それこそ、一つ前の投稿の「僕ってこう見られたいな」さんのお話と通じるものがあるのかもしれません。

人って、色んなタイプがいると思うんですね。
暮らしの中で感情の吐露を制限されている、という前提の中で上手く感情を表現できる人、できない人、はたまた表現は上手くできるけど感情の抑制ができない人。

僕は、涙ってそんな彼らの日々繋がれてる感情を自由に散歩させてあげられる機会を作ってくれるものだと思っています。
何故なら、涙は感情がある一定のラインを超えなきゃでないものだからです。

嬉しい、悲しい、悔しい、寂しい、色んな色がありますが、それらがあるラインを超えたとき、涙は流れるのです。
そうですね、イメージとしては仮装大賞なんかが近いのでしょうか。

仮装大賞だと1点から19点の間で評価はされないのです。
20点。その一点を超えた時にピコピコピコピコ、ランプが光ります。
その感覚です。

やっぱりさ、みんな忙しいじゃん?
学校ガー
入試ガー
人付き合いガー
仕事ガー
って、1点から19点の間の中でさ、自分て何考えてんだろうとか、何も感じてないなーって考えるときあるじゃん?

涙はね、そういう評価されない感情が、1点超えたときにだけ現れる。
涙は

「あ、僕は今悲しいんだ」

っていうように改めて自分の感情を、強く、再認識させてくれる、優しい雫なんだと思います。
これが僕が涙をリセットと表現した理由です。


僕の考えの一つに、感情を蔑ろにしたら心が壊れる、というものがあります。

いくら給料の良い仕事でも、
いくら良い大学に行っても、
いくら美人な嫁さんと結婚できたとしても、そこに感情が無ければ人は色を失うのです。
心がすり減るのです。
多分、鬱病っていうのはそういうところからもくるんじゃないのかな。

そして、色を強く感じている人は、表現が豊かです。
それでね、僕、表現や共感に関しては、男性より女性の方が遥かに得意だと思うんです。

それはきっと、男性より女性の方が生涯泣く回数が多いからではないでしょうか。
自分の感情のランプがピコピコ光る経験を多く持っていて、自分がどういう感情を持っているのかしっかりと把握している傾向にあるから、きっと共感や表現が上手なんです。

じゃあなんで男の方が泣く回数が少ないのか。
それは生物学的な話なのか、生育環境の話なのか、難しいことは僕にはわかりません。
ただ、もし自分に息子が生まれるのなら、
「男なら泣くな」という教育はしたくないですね。

泣きたい時は泣けばいい。
泣く時には泣くだけの十分な理由があるのだから。

もちろん、強い子供には育って欲しいですが、
ただ強いだけだったら泣き虫でも、自分の感情に素直な子供に育って欲しい。

何が言いたいって、風立ちぬ、素晴らしい映画でした。笑



本日のBGM キラキラ武士/レキシ

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