2013年9月7日土曜日

僕がどうしようもなくイタリアが好きなしょうもない理由。

「僕ね、思うんですよ。
もう一度小学生の夏休みがやりたいって。」

何にも考えずに、ランドセルは机の下、ラジオ体操なんてそっちのけ、長い坂道で自転車と風になる。
そんなことをもう一度やりたいのです。
そして何より、あの頃の青空は今よりも、もっと高く、高く、澄んでいた気がします。

多分、もうあの時と全く感覚は二度と戻ってこないし、タイムスリップを望むのはきっと野暮だ。
でもね、子供のころの夢って、きっと大人になってもやりたいことだらけな気がしてきました。
そしてそれを大きくなってから叶えるのは、きっと野暮ではない。

みんな子供の頃の夢はなんだった?
僕はパイロットとパン屋さんだったよ。
パイロットとかはさ、もしかしたらもう実現は難しいかもしれない。
でも僕の言う「夢」っていうのは、もっと、こう、くだらないものさ。

ゼリーのプールで泳ぐ。
お菓子の家を建てる。っていう幼き頃の妄想や、
キリンを飼う。
オマーンに行きたい。とか、そんなレベルのお話。

ね?やりたくない?
こういう夢ってさ、大人になった今だからこそ叶えられるものもあるんじゃないかな。

自分がもしもくたびれた大人になった時、こういう童心の大人買いをする機会があっても良いと思うのだ。そして、それは何者にも縛られていない。

僕が大人になった時何したいのかな、と思った時、いっつも一番最初に「イタリアを一人で放浪」というものが浮かぶ。
なんだかわかんないんだけどね、昔からそうなんだ。
思い返すと、僕が一瞬でイタリアを好きになった小さな出来事があった。

僕がイタリアに初めて行ったのは4歳の頃、宝くじが大当たりした時の家族旅行でした。
入ったカフェで、母に「コーヒーを2つ下さい」とイタリア語で教わり、数ユーロを握り、僕はレジに向かった。

due caffè per favore.

まだ擦れていない声でそうお願いすると、僕の後ろに並んでいた、禿げ上がった頭が似合ったおじさんが、「ブラボー!!」と叫びながら拍手をし始めた。
するとカフェ中の客がぞろぞろと集まってきて、恐らく「この小さなジャパニーズ・ガイがイタリア語でコーヒーを頼んだんだ」と大胆な身振りでおじさんが説明する。
カフェ中から拍手と歓声が飛んできた。

これだけだ。
今思えば、僕は別に凄いことをした訳じゃない。もしかしたら良くある光景かもしれない。
でもね、こういう日々の小さなチャレンジに対して最大の敬意を送る、それを目の前にしたときから、僕はイタリアの虜だったのかもしれない。

何が言いたかったかって、昔からの夢と生涯かけて付き合うってきっと素敵じゃないのかなってこと。
将来こんなことしたいなって、考えながら空を見ればきっとちょっと毎日が楽しい。

誰かさ、北海道で自転車借りて走りに行こうぜ。来年あたりさ。
損得無しで笑いにいこうぜ。
忘れ物をとりに帰ろう。

それじゃ、今日は寝るよ。


本日のBGM 茶碗/星野源

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