2013年7月27日土曜日

看板を掲げる。


あなたは誰で、どんな人ですか?
これを答える時、所属を肩書きとして使ってはいけません。
あなた1人だけで考えた時に、あなたは自分をなんと言うでしょうか。


僕はここ数日、ずっと夢見る若者とお話をしていました。(僕もまだ若いはずなんですけどね)
とある案件で、彼らが自分を表現する場があるので、ありがたいことにデザイン専任講師としてお手伝いをさせていただいたのです。

そこで、僕は彼ら一人一人に「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」という質問を投げかけました。
みんな一生懸命に自分がどういう人なのか教えてくれました。
彼らの話を聴いているうちに、ぼここ数日感じていた違和感の正体に気がつきました。

それは「皆自分を説明する時に名詞しか掲げない」ということです。

「責任感があります」
「国際的です」
「誠実です」

なんだっていいけど、あなたのことを知りたい!って思ってる人は、そんなパッケージされた言葉なんて欲しくないと思うんです。

例えば、町にレストランがあるとしましょう。
まず僕はね、料理を作れない人が"レストラン"という看板は掲げないと思うんですよ。
その看板を掲げる人は、シェフとして経験と修練を積んで、もう店が出せる!と思うから自分の店をオープンするのです。
そしてそのシェフがオープンしたレストランは、やがて彼の経験から見つけた美味しいオリジナルの調理法やスパイスの調合、試行錯誤した素晴らしいサービスが噂になって町で一番人気のお店になりました。

僕が聴きたかったのはこういうことなのだ。

「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」

「私の名前は〇〇で、××大学に所属しています。それで、私は責任感が強く、誠実と見られたいです。」
こんなの、チェーン店です、サイ○リアです。

「私は責任感が強いと思われたいです。
何故なら、私にはこういう経験があり、その時こう考えさせられました。
その時から、私にとって一番大事なのは責任を果たすことだと思っていて、それが私の意思決定の基準になっているし、行動力の源です。
だから私は責任感が強いと思ってもらえると、嬉しいです。」

大事なのは、パッケージじゃ無くて、パッケージを掲げるに至るまでの経験、考え方なんだと思います。
それを伝えられて初めて、その人が浮かんでくるんだろうな。
僕はそういうことができる人間になりたい。
それを考えた上で、自分が周りにどう見られたいのか考えたいな。


最後に、最近僕がどこでこの違和感を感じていたのかで終わりたいと思います。

「○○党参議院議員候補 田中 太郎  やりぬく男!!」
知ったこっちゃない!
使い古された文句を並べるポスターと街宣車じゃ、何にもわからないよね。
なんでやりぬく男なのか僕は教えて欲しかったな。
そういった意味で、ネット選挙運動にはとっても期待しています。
その人の中身が見えるからね。
今回はまだ選挙権なかったけど、きっと次の選挙は投票に行けるはず。
自分の頭で考えて投票したいな。



おやすみなさい、もう朝だ。


本日のBGM  face / yoshiko kishino

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