僕は結構アニメが好きなのですが、好きなアニメの一つに「フリクリ-flcl-」というアニメがあります。
ガイナックスという制作会社のOVA作品(原作無しのオリジナル作品)で、同会社の有名作品だと、新世紀エヴァンゲリオン、天元突破グレンラガン。現在放送中のものであればキルラキルと、みなさんもちょびっと知ってるような作品を作ってる有名会社の作品です。
このフリクリ、海外ではそこそこ有名なのですが、日本では「エヴァ」や「ラガン」など有名作品の影に隠れ、中々日の目を浴びない作品なのですが、これが、本当に、面白くてですね!
あらすじとしては、主人公である小学6年生のナンダバ・ナオ太くんの元に、ある日自称19歳の女の子 ハルハラ・ハル子がマスタード色のスクーターに乗って現れます。
「凄いことなんか無い。ただ当たり前のことしか起こらない。」
が口癖のナオ太くんでしたが、彼女の出現によって彼の平凡な日常は崩れ去ります。
そして彼が様々な事件と人との出会いを通じて成長していくお話。(と一概に言い切れないところがまた絶妙にもどかしいお話。) なのですが、全6話なので、季節の変わり目でセンシティブな時にでもぜひ見てみてください。
さて、このナオ太くんですが、海外留学中の兄の元カノで、ちょっとエッチな関係にある(おませさん)女子高生から、「ナオ太くんはバットを持っていても振らないタイプだよね」とコメントされることがあります。
確かにナオ太くんはバットをいつも持ってこそいるのですが、振らないのです。
これはナオ太くんのキャラ付けではなくて、「バットを持っていることで何かを持っているアピールはあるが、振ってしまうことで自分が何も持っていないことがバレてしまうことが怖い子供」のメタファーとされています。
なんだか、この辺で胸がチクリと痛くなるんですよね。
自分で言うのもあれなのですが、僕は昔から「お前は才能があって良いよな」というようなことを良く言われました。正直、今も言われることはあります。
そういう風に言われるということは、少なからずそう思ってもらえている、ということなので素直に嬉しいのですが、自分自身、沢山の才能あふれる人たちに出会って、自分なんてちっぽけで何にもできない人間だと思い込んでしまう日々が長くあったように思えます。(その関係で、才能って言葉がちょっぴり嫌いになったりもしたのだけど。)
もっとも、今も僕は得意こそあれど才能があるとは思っていないし、僕一人で何かを成し遂げることなんてできるはずが無いでしょう。
ただね、才能の有無に関わらず、周りから才能があると言われたのならば!才能があると言われなくても!自分に才能があると思うのであれば!
なんでもいい!
一つだけ言えることは、バットは振らなければあたらないということ、だと思っています。
あなたが才能だと思っているもの、思っていなくても人から言われるもの、どっからどう見てもゴミとしか言いようが無いもの。人にはそれぞれオリジナル・ハンドメイドのバットが何本か与えられます。
そのバットがどんなものであろうと、そのバットで打席に立つしかないのだと思います。
大ヒット、場外サヨナラホームランなんてそうそう出ない。
自分の人生ゴロばっかかもしれない。
でも振らないと当たらないし、振らないとわからないし、振らないと打席からでることすらできない。
もし思いっきり振ってみて、三振パラダイスだったとしたらさ、そのゲームきっと向いてないし才能無いんだよ。笑
そしたらきっと、監督とか、テレビ局とか、それともサポーターとか、いろんな人がいることが見えてくるし、自分ができることをやればいいんだと思う。
はたまたサッカーに転向するとかね。笑
フリクリに戻りますが、
ナオ太くんの「凄いことなんか無い。ただ当たり前のことしか起こらない。」という口癖は、世界では当たり前のことしか起きないのではなく、自分が当たり前のことしか起きないような選択肢をとってることに気がついていない小学生の主観的な一言だと僕は思っています。
僕はバットを確かに何本か持っている。
だけど素振りをしなきゃ鈍る。
まだ、素振りの仕方が僕にはよく分からない。
このバット!と決めてそれに集中する覚悟も無い。
ただ、取り返しの効く若さがあるうちに、サードゴロくらい打てるようになりたい。
僕はね、周りの人から才能だけの人間とか、どうしても思われたくないんだ。
才能があろうがなかろうが、努力を褒められた方が何千倍も嬉しいと思うんだ。
才能は無くても、センスは磨ける。
尊敬している人から言われたこの言葉を胸に、明日も生き延びたい所存。
星野源が染みる夜だなぁ。
了
本日のBGM ステップ/星野源
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