2013年7月31日水曜日

拝啓 すばらしいあなた様へ 〜自戒を込めて〜

今まで箱庭で過ごしてきた中で、「ナンバー1じゃないよ、オンリー1が大事なんだよ」って優しい言葉を沢山聞いてきた気がします。
なんかね、凄く違和感を感じるんですよ。

中学二年生のバイブル「新世紀エヴァンゲリオン」に「私が死んでも代わりはいるもの。」という台詞があります。
これね、別に綾波だけじゃないと思うんですよね。
みんなにはそれぞれ代わりの人がいるんじゃ無いのかな。
もしかしたら、思ってる以上にあなたや個人に価値はないのかもしれないよ。

少しだけ自分の話をしますね。
僕って、よく誰かに似ているねって言われるんです。
背格好、顔、趣味、性格、色々なところで。
その度に思うんですが、別に僕って僕じゃなくてもいいんだろうな、って思うんです。
もし僕とよく似た人が、僕として、あたかも当然のように入れ替わっても世界は何事も無かったように回るんだろうなって。
冷たいよね。

僕、オンリー1は
「あなたはかけがえのない1人なんだよ大切なんだよ!!(あいつの方が優秀だけど笑)」って感じに言いくるめられてる気がするのです。
事実、やっぱり褒められる時ってナンバー1のほうが多いと思うんです。

でもやっぱり人間一人一人にはちゃんと価値はあるんですよね。
きっと僕がいなくなったら両親や親友は(きっと)悲しがってくれるのでしょう。
もちろん僕にも失いたくないかけがえの無い人はいます。
ただ、やっぱり社会から見た時に、僕やあなたがいなくても問題なく回る、というだけで。

僕はさ、それがなんか悔しいんだ。
やっぱ生まれてきたからにはさ、なんか残したいよね。
死んで残るの墓石だけって悲しいもん。

だからオンリー1になれなくてもいいから、カテゴリーの中でただただ上の方にいきたい。
そこでそのカテゴリーの第一人者として何か成し遂げたい。
そこまで行くと、初めてオンリー1の尻尾が見えてくると思う。
オンリー1ってね、きっと頑張って頑張って頑張った人が出せる貫禄や雰囲気、センスを褒める言葉なんだよ。
全ての人を救済する甘い言葉じゃない。

それから、何かを成し遂げた後に、同じカテゴリーの後輩に「あの人みたいになりたい」って思われたい。
そんなエゴでね、いいと思います。頑張るなら。
そして成し遂げるためには、なにかして、それを自分なりに学びにする。それを繰り返すしかない。

以上、現場より
自分は自分だけだ、価値がある。
って考えるより
自分はそんな価値はないから頑張るしか無い。
って考えた方が生きやすい気がする、というお話でした。

絶対そっちのほうが失敗とか受け入れやすいもん。

人生はね、思ったよりレベル上げゲーなのかもよ。
んでみんなはただの勇者見習い。



本日のBGM love the game/Perfume

2013年7月29日月曜日

賭け値無しで


実は僕人の死に立ち会うことが多いんです。
というのは、親戚が多いこともありますが、人身事故の場に遭遇したり、なんかそういうことが多いんです。
そういうことがある関係で、割と死生観や人生観はドライだと思ってます。
それを背景に、人生において一番の幸せや大事なことは何なんだろうなー、と最近考えています。

まだまだ19の若者なので、答えなんざ全くわかりませんが、仮説を建てることはできます。
僕は、賭け値無しの関係ですが一番大事なんじゃないかな、と思っています。

なんか、○○の関係のために仲良くするとか、
可愛くて付き合いたいから飯おごるとか、
そういうのって、虚しいですよね。
もちろん、人生においてそれも大事なことですし、より潤いあるものにするためには絶対に必要なことだと思っています。
むしろ、人付き合いの98%くらいがそうだと言っても決して過言ではないでしょう。
僕が言いたいのは、最終的な話です。

自分が床に伏して、最後の瞬きをする瞬間までに、こいつのためならいくら金出しても良い!身体を投げ打っても良い!って人3人に囲まれていたいんです。

僕は友達は多い方だと思うし、人当たりの良い方だと思う。
でもきっとそれは防御で、実は心の中に踏み入られると、だいぶ引いてしまう。
だからこそ賭け値無しの関係に憧れるんだろうな。
この人なら自分の全てを受け入れてくれる。
そんな人に出会いたいし、そういう人に巡り会うためにも、周りの全ての人に誠実に、大切に接して行きたい。

そして、一番の賭け値無しの関係の人を、妻にできたら良いな。

結局ね、僕は今日の江ノ島BBQが楽しかったですって言いたいだけなのよ。
ほんじゃね、おやすみ。

僕と接してくれる全ての人にありがとうを。



本日のBGM  ピースとハイライト/サザンオールスターズ



2013年7月27日土曜日

看板を掲げる。


あなたは誰で、どんな人ですか?
これを答える時、所属を肩書きとして使ってはいけません。
あなた1人だけで考えた時に、あなたは自分をなんと言うでしょうか。


僕はここ数日、ずっと夢見る若者とお話をしていました。(僕もまだ若いはずなんですけどね)
とある案件で、彼らが自分を表現する場があるので、ありがたいことにデザイン専任講師としてお手伝いをさせていただいたのです。

そこで、僕は彼ら一人一人に「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」という質問を投げかけました。
みんな一生懸命に自分がどういう人なのか教えてくれました。
彼らの話を聴いているうちに、ぼここ数日感じていた違和感の正体に気がつきました。

それは「皆自分を説明する時に名詞しか掲げない」ということです。

「責任感があります」
「国際的です」
「誠実です」

なんだっていいけど、あなたのことを知りたい!って思ってる人は、そんなパッケージされた言葉なんて欲しくないと思うんです。

例えば、町にレストランがあるとしましょう。
まず僕はね、料理を作れない人が"レストラン"という看板は掲げないと思うんですよ。
その看板を掲げる人は、シェフとして経験と修練を積んで、もう店が出せる!と思うから自分の店をオープンするのです。
そしてそのシェフがオープンしたレストランは、やがて彼の経験から見つけた美味しいオリジナルの調理法やスパイスの調合、試行錯誤した素晴らしいサービスが噂になって町で一番人気のお店になりました。

僕が聴きたかったのはこういうことなのだ。

「で、君はどういう人で、周りからどう見られたいのか教えてよ」

「私の名前は〇〇で、××大学に所属しています。それで、私は責任感が強く、誠実と見られたいです。」
こんなの、チェーン店です、サイ○リアです。

「私は責任感が強いと思われたいです。
何故なら、私にはこういう経験があり、その時こう考えさせられました。
その時から、私にとって一番大事なのは責任を果たすことだと思っていて、それが私の意思決定の基準になっているし、行動力の源です。
だから私は責任感が強いと思ってもらえると、嬉しいです。」

大事なのは、パッケージじゃ無くて、パッケージを掲げるに至るまでの経験、考え方なんだと思います。
それを伝えられて初めて、その人が浮かんでくるんだろうな。
僕はそういうことができる人間になりたい。
それを考えた上で、自分が周りにどう見られたいのか考えたいな。


最後に、最近僕がどこでこの違和感を感じていたのかで終わりたいと思います。

「○○党参議院議員候補 田中 太郎  やりぬく男!!」
知ったこっちゃない!
使い古された文句を並べるポスターと街宣車じゃ、何にもわからないよね。
なんでやりぬく男なのか僕は教えて欲しかったな。
そういった意味で、ネット選挙運動にはとっても期待しています。
その人の中身が見えるからね。
今回はまだ選挙権なかったけど、きっと次の選挙は投票に行けるはず。
自分の頭で考えて投票したいな。



おやすみなさい、もう朝だ。


本日のBGM  face / yoshiko kishino

2013年7月25日木曜日

あなたは誰になる?


尊敬してる人って、います?

僕はいます。
中学の時の塾の先生で、僕は彼になりたいんです。

彼になりたくてなりたくて、喋り方を真似しました。
筆跡を真似ました。
いつも着ていたタイプのセーターを買いました。
彼に少しでも近づけることが嬉しかったんです。
高校受験も彼にもらった105円のシャーペン一本で乗り切りました。

でも彼のようになろうとして、同じことをしようとしても、やっぱりやりたくないこととか、自分で納得できないことが出てきたんです。

僕は彼になりたかったんです。

彼は彼の人生を送って彼になりましたが、僕は彼の人生を送ってきていません。
どうしても、僕は僕にしかなれないのです。
よく言いますが、僕は僕にしかなれないのです。

もし僕が10年前にタイムスリップして、一巡目と全く同じ人生を送ったとしても、
恐らく今と全く同じ19の僕にはならないでしょう。

僕は僕でなければならないのです。

いくら大好きな人がいても、その人になりたいとは思ってはいけないのです、きっと。
もしその人になりたいのなら、自分がその人のように見られるように努力すべきなのだろう。
今までの僕の人生で何を感じ何を考えたか、を受け止め、前向きに生きたほうが、きっとハッピーだと思います。

僕は今でも彼のようになりたいです。
彼が僕の太陽であったように、僕も誰かの太陽になりたいです。
ただ、彼になるとしたら、僕のまま、彼になりたいな。

だから僕は今でも、勝負ごとの時には彼と同じタイプのセーターを着ます。




本日天丼特盛でお送りいたしました。


本日のBGM  Alone in the dark /COME BACK MY DAUGHTERS

2013年7月24日水曜日

天には昇らない。

ここを高校の教室としましょう。
教室にゴミが落ちているとします。
誰かがゴミを拾ってるのを見ても、きっと誰もお礼は言わないのでしょう。
でも、ゴミに明らかに気がついているのに捨てない人を見たとき、誰かは少し嫌な気分になるかもしれない。

案外、そういうことが大事なのかも。

誰にも気づかれず、褒められない心遣い。
ただ、たまにありがとうって言ってくれる人がいるんだよ。
その喜びは、天に昇るような喜びではないけど、何故か心に残るように思う。
"徳"ってそういうことなのかもね。



本日のBGM 幸福論/椎名林檎


2013年7月23日火曜日

夏時雨


朝、駅に向かう途中の公園で、蝉時雨のなか子供達が虫捕りをしていました。

蝉の声を聴くと、僕は昔の家の前にあった公園の大木思い出します。
木登りもしたし、自転車の練習をしたのもあそこでした。
聴覚嗅覚は記憶にリンクしやすいと言いますが、きっとそれはお茶目な呪いなのでしょう。

夏の化身が土の中からやってくる度、緑の葉と木漏れ日が瞼に浮かぶ。
僕にとってのその公園が、彼らはこの公園になるのかな、と思うと暑さも少しだけ良いもののように思えます。

気がついたら蝉の鳴き始めも過ぎていました。
10年前に比べて、夏は時雨のように降ってこない。
あの青々しいノスタルジーを感じられなくなったのは、
僕が少し大人になったからなのでしょうか。
はたまた。





本日のBGMは スターライトパレード/SEKAI NO OWARI

2013年7月22日月曜日

ザキヤマ一神教


結局自分のことだけしっかりしておけばいいのよ。

今朝母に言われた言葉。
周りに色々と首突っ込むのはいいとして、結局自分のこともしっかりできてない人にはすがりたくない。
その通りである。

この間、立て続けに 僕との間に一枚壁を感じる、というようなことを言われてしまった。
気のせいだと笑う傍ら、内心図星だと焦ってしまった。
別に、あなたが嫌いだ、という訳ではない。
仲良くなりすぎるのがちょっぴり怖いのだ。
僕があなたが思っているよりも良い人間ではなくて、がっかりされてしまうのが怖いのだ。

要は自信がなくて、自分がしっかりしてないことからの逃げだ。
僕も今年で19。来年で20だ。
大人にならなきゃいけない時期である。

月並みな言葉だが、何もしなくても年は喰うけど、やることをやっていないと大人にはなれないのだ。
一念発起なんてしてもきっと続かないから、ただ目の前にあるやらなきゃ行けないことを
しっかりとやろうと思います。
それで、このブログはポートフォリオ的に使えたらな。笑

誠実に。
結局自分を大切にできない人は周りを大切にできないし、周りを大切にすることが1であり10なのだと思う。

誠実に生きよう。


最後に敬愛するザキヤマ大先生のアメトーーーーークでの名言でシめようと思う。

「嫌われたくないって思ってるってことは嫌われてないと思っているってことですよね?
そんなわけないじゃないですか!
嫌われてますよ!
たくさんの人に!
だからこの人なにやったら喜ぶかなとか考えるんじゃないですか!」




本日のBGMは タイムマシン/フジファブリック





2013年7月20日土曜日

嘘の言葉


かつて衝撃的なロシア人に出会った。

我が家は両親の方針で、僕が物心つく前から交換留学生の受け入れをしている。
所謂ホストファミリーというやつだ。
中学3年生の時、我が家にやってきた彼女はまさに台風であった。

ガッツリと胸元の開いた服を着て、毎日歌舞伎町のホストクラブへと通う彼女は、
一件問題児のように思えたのだが、
誰よりも勉強熱心で、誰よりも周りを想う人であった。

彼女が帰国するとき、彼女が通う日本語学校で送別会が催されたという。
そこでのワンシーンだ。

クラスのみんなから、彼女へのメッセージが書かれた色紙が渡された。
あなたと離れるのが寂しい
元気なあなたが好きだった
また遊ぼうね
暖かなメッセージが書かれた色紙だった。
しかし彼女は声を荒げた。

「全部嘘」

みんな私とそんなに仲良くなかったのに
煙たがってたのに
なんでそんなことを言うの。
これは暖かい言葉なんかじゃない、全部嘘の言葉。
そんな言葉をもらっても全然嬉しくない。

彼女はそう、吐いたという。


僕は衝撃的だった。
誰よりも優しい心を持った彼女の発言が意外だったこともあるが、
誰とでも仲良くしたいと"エエカッコシイ"をしていた僕に冷水をかけられたような気がしたのだ。

今でも思うのだが、ただ周りにむけて笑顔を作っていた僕は、
自分が本当は何を考えているのかさえ曖昧になっているのだ。
きっと、そこに言霊は無い。

心からの言葉を発するためには、自分が、
何を学び
何を感じ それから
何をするのか。
この繰り返しを記録し、しっかりと轍を残す他にないのだろう。

何のために生まれて何をして喜ぶのか、
それを探して只々日々をやり過ごすのみである。






本日のBGMは 月に負け犬/椎名林檎

2013年7月18日木曜日

ウルトラマンだって痛いんだ。


懐かしい夢を見た。

確か15年前、僕がまだ4歳だったころの夢だ。
僕は幼稚園の友達と、自宅でウルトラマンのビデオを見ていたのだ。

男ばかりの集団から「やれ!」「倒せ!」など声援が送られる中、
一人「痛そう」と呟いた女の子がいた。
当時は「そんなわけないだろ」
「ウッセー馬鹿!!」
「ウルトラマンなんだから痛くないんだよ!!」
とヤジったのだが、きっと、そんなことはないのだ。

ウルトラマンだって、絶対に痛い。

ヒーローという陰にひそりと身を潜めているその痛みは、
決して僕らに伝わることは無い。

そしてそれに気がつくのはいつだって女の子なのかもしれない。





本日のBGMは 神様の暇つぶし/GO!GO!7188

2013年7月7日日曜日

ブログを始めました。


こんばんは。
早いもので2013年ももう後半戦、七夕を迎えるところとなりました。
そんな今日僕はブログを開設することとしました。
(とは言えブログを開設するのはもう何回かしたことがあるのですが)

ブログを開設する理由はいくつかあるのですが、大きく分けて3つです。

①思考の整理
 →大学に入学してからというもの、ポンポンと思いつくことはあるのですが、
  忙しさを理由に泳がせてばかりでしっかりと頭の中を可視化させてきませんでした。
  ここに「考えた」思ったことを書き残すことで、
  自分の思考の流れを確認できるポートフォリオとして行きたいと思います。

②文章の練習
 →実は最近とある繋がりで文章を扱うお仕事をやらせていただけることになりました。
  なので長文を各練習台にここを使いたいと思っています。

③ルーティーンワークとして
 →先日授業で
  "未来に通じると思うことを一つ決めて続けなさい"
  というお言葉をいただきました。

  僕にとっての未来に通じることは、思考をアウトプットし、流れを把握することと
  轍のように過去を振り返ることができるようにすることだと思います。
  ただ轍のように過去を振り返れるようにして自分を肯定してあげることが
  自分が未来に顔を向けられる一つの手段だと思ったんです。
  
  有言実行という言葉がありますが、不特定多数の人に公開することで、
  ちょっと自分を引き締めようと思ったので、ブログを始めることにしました。


さて、おやすみ。